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中山啓子先生の東北大学教授就任10周年をお祝いしました。

9月21日、勝山館にて、中山教授10周年記念祝賀会を行いました。
研究室立ち上げ時に講師として在籍していらした三宅智先生(現・東京医科歯科大学教授)を始め、卒業生等がお祝いに駆けつけてくれました。

私が中山研にお世話なったのは、2003年7月〜2005年3月の2年弱です。元々のきっかけは、2002年夏に、九大の中山(敬一)研に2か月間の国内留学でお世話になったことから始まります。

啓子先生と敬一先生はいずれも大学時代の硬式庭球部の1年先輩で、特に敬一先生には公私共々お世話になりました。大学卒業後、私は外科医として働いていたのでしばらく関係は希薄だったのですが、私自身が米国留学を経て1999年末から基礎研究者に転向し、前述のように九大に国内留学したことが縁で、東北大中山(啓子)研のスターティングメンバーとして参加することになりました。

中山研の場所は新しくできた5号館4階でしたが、私が着任したときにはまだ何も整備されておらず、当時5階にあった野田研(現癌研究会研究所長の野田哲生先生主催の教室)の一角の机をお借りして研究室立ち上げの準備をしていました。啓子先生が定期的に仙台に来て、研究室のデザインや備品購入などについて話し合いました。当時野田研の助教授だった菅原先生には大変お世話になりました。今となってはやや記憶も薄れかけていますが、確か同年の9月頃に啓子先生が正式に仙台に引っ越してこられ、4階中山研がスタートしたと記憶しています。

わずか2年弱の仙台生活でしたが、太白区三神峯官舎に在住しつつ、研究室に折り畳み式ベッドや炊事用品を買い込んで、特に冬場は(青葉山をノーマルタイヤの車で越えられないので)研究室に泊まり込んでいた時期もありました。同じ創生医学研究センターの大隅研や片桐研のメンバーとの親交もあり、大変充実した(学生時代のような)生活でした。

最終的に諸般の事情で私自身が臨床医に戻る選択をしたため、中山研から離れることとなりました。その後は茨城県の友愛記念病院(以前外科医として勤務した医科歯科の関連病院)で化学療法+緩和ケア医として5年間、2010年1月からは栃木県立がんセンター緩和ケア病棟医長として勤務しました。いずれの場所も定年まで勤め上げるつもりでしたが、風来坊のような生活が身についてしまったのか、2012年5月以降、母校の東京医科歯科大学で緩和ケアを担当しております。

私自身は今後もまたどこかに異動するかもしれませんが、中山研のますますのご発展、そして20周年記念式典にも呼んでいただけることを心より願っております。

司会はラボを支えてきた小野さんと細金君
式次第

※写真をクリックしますと拡大してご覧いただけます。

旧交を温めながら、歓談に花を咲かせます。
合間に、初代卒業生である石川善則君や五十嵐和彦教授からのビデオメッセージが披露され、
場内に黄色い歓声が沸き上がるひと時も。

花束・記念品贈呈〜中山教授のご挨拶。
記念品は、マウスのイラスト入り卓上時計と、メッセージアルバムです。

啓子先生、この10年間大変お疲れ様でした。
また、遠方から駆けつけて下さった中山研出身の皆さま、石川君、本当にありがとうございます。
今後の教授の一層のご活躍と、研究室の発展を願い、会は幕を閉じました。